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活動を 振り返って


隊員活動の レポートは → こちら

病院・臨床検査 スタッフという肩書きで 隊員活動をしたが、果たして本当のところは 何を活動したのだろうか・・・?

任地からの要請項目には
「任地ジャングルの中にある 地方総合病院。 元はライ病(ハンセン氏病) の療養所として
イギリスのキリスト教系NGO(Missionary Duty)が始めた病院。後にブータン政府が国立病院として接収したが、
スタッフ、消耗品、備品共に不備が多く 期待される機能を果たしていない 検査室スタッフとして、
カウンターパートにOJT的な技術指導、新規導入検査機器の取り扱いの指導、精度管理の概念を定着させる…云々」
とあった。

私が着任したころは ライ病患者 は全ていなくなり、結核患者が数名いる程度、それと共に白人スタッフは帰国しいなくなった。

地方の中心病院としての機能を期待されてはいたが、思ったより外来患者は少なく、AM中の3時間を除いて
1〜2名の医者と5〜6名の看護婦は読書、編み物をしていることも多く、日本で 忙しい毎日を送ってきた私のとっては
当初退屈に感じた。当時は小型水力発電所が麓の村に一箇所あるだけ、、雨季の洪水、乾季の渇水で
しょっちゅう停電、冷蔵庫は電気が切れるのでほとんど当てにならない
(ユニセフ供与の現地の冷蔵庫はケロシン【灯油】を燃やしてその熱交換で冷やす、というものもあったが…)ので、
薬品自体殆どストックできない、こんなところでは自分は治療されたくない(笑) という状況。建築中だった 眼科クリニック
(基本的には何とも説明できないくらい衛生状態が悪い『院内を野良犬が歩き回る』ので、絶対に入院はしたくは無かった)

毎日 検査室を掃除したり、整理整頓など ものぐさな ブータン人に範となれるように行動したつもりだが
途上国の常で 職場・公の場より家族・自分のことを優先しがちな彼らに 日本的勤勉を望むほうが難しい・・・。

要請通り 検査業務の改善には努めた。が、燃料用の薪割り、時々山から下りてくる 農家、行商のおばちゃんから
出来るだけ食料を集める、趣味で作った衛星放送受信器(インド製の手作りキットでアジアで一般的なアナログTV放送を
放送衛星から受信できるパラボラアンテナを作成)の普及に努める・・・等、
本業よりは生活改善隊員?としての活動が多かった。 (っていうか、自分が生き延びるだけで精一杯…とも言える(^^ゞ)

首都ティンプーに於いても アジアの他の国より少ない人口(約2万人)首都のメモリアル・チョルテン(仏塔)
その僻地の病院の仕事…日本の常識では『仕事にならん状態』だった。

新規に導入される セミオートの生化学分析器の使い方を指導する。。。
これは任地入りして 半年以上たった後、首都から送られてきた。しかも壊れていた(笑)
検査技師では無く、電気技術隊員のほうが良かったのでは・・・?

毎日のルーチンワークではマラリアや、腸チフス等の患者が多く採血、用手法で検査、という業務が中心、
沢山の生化学データの信憑性を毎日 管理せねばならぬ程の 検査項目 自体が少ない、検査数も少ないので
データが少なすぎ 精度管理するなら 一病院規模ではなく(内部精度管理)、
全国の病院間(外部精度管理)で行うべきである。

…これはブータンの検査技師の責任者的なカルマテンジン氏が 私の任期の終わり頃に
各病院に出張調査した折に手伝った程度、私一人で 出来るものではなかった。

私にとっては 日本で見たことが無い マラリアの臨床、血中マラリアがどのように変化し患者に影響するのか、
腸チフス、赤痢、コレラ、その他諸々の寄生虫(今では日本で見られぬものばかり) の感染を観察、一部、身をもって経験?、と その検査を行えたこと、栄養失調時 の臨床など日本では経験できないことを見聞、体験できた。

「与えるつもりで来たが、逆に与えられることの方が多い、、、協力隊」 だと実感した。

新規検査機器も、任期終了半年前に ようやく任地に到着、しかしこれも、私が教えなくても ブータン人は見よう見まねで 何とか取り扱う(だから壊れるのだが(笑)) 先輩隊員が残した検査マニュアルを使おうと思ったが、
首都の モノがある職場で作られたマニュアルなど ナイナイ尽くしの僻地病院では使うことも 殆ど無かった。(そんな機材が揃っていない)

沢山ある 自由時間を使って、できるだけ任地のブータン人宅を訪問し、彼らと食事を共にし、同じものを食べ、
(おかげで 栄養失調気味で10kgやせた)一緒にビデオを見たり( インド映画 で言葉がわからない)結婚まで考えたブータン女性

バドミントン、バレーボールしたり、山羊の世話をしたり、たまに山奥の妊婦検診に同行いしたり、、、、

派遣前訓練時に準備した予定は 殆ど任地ではこなせなかったが 日本人としての自分を忘れ、
できるだけブータン人化?して一緒に生活することに集中した。

日本で 沢山の収入を得るために働くことも 労働だが、10kgも痩せて 腸チフスにかかって苦しんで
ブータン人の一人となって 生活するだけでも日本の常識、価値観では「労働」のうちに入らないかもしれませんが、
異文化で外国人として(それも途上国という 過酷な条件での) として 2年以上生きることは
他に変えがたい価値の 仕事だったと思う。

「上から与えてやるという 傲慢・慢心 さに気付き、途上国の人から ですらも 与えられて生きている、生かされている 自分に気付く」 ことが ・・・・

協力隊員 として 一番大切なことでは ないだろうか?

 
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