くすさんぽ協力隊物語−帰国後のひとり言
帰国後のひとり言


JOCVは、どの国でもそうだと思うが首都などの都市部の隊員と、僻地などの地方に派遣される隊員の二つに大きく分かれると思う。

わたしは後者の地方隊員だった。

車で首都から二日、時には大雨、崖崩れで通行止め・・・歩くしかたどり着く手段がない・・・
はるか彼方の「僻地」でした。
(まあ、日本から見ればブータン自体が山奥の僻地だが)

首都の人たちは仕事も忙しく、日本人同士でトレッキングしたり、飛行機貸切でヒマラヤ遊覧飛行等、レジャーもいろいろあったらしい・・・。
しかし私の任地といえば、タクシーは無い、パブリックバスもほとんど走ってない、しかも年間の6割はモンスーンシーズンになる雨季で崖崩れ、通行不能、陸の孤島でした。国内旅行すら難しい。他の多くの隊員とは全く違う生活を送っていました。
村の皆とジャングルの中を移動 川には橋が無い・・・ ある日の私 村の女性は働き者! 
周りに日本人も、日本語も無く、ローカル・ブータン人の一人として?、英語と現地語で暮らしていました。そのため他の隊員からは「もう日本人じゃなくて、現地人だ」とも噂されていたようです。

数年間の任務を」を全うして帰国した時、文化はつる世界の果てにいた私にとって久しぶりの日本は、時間の速さ、モノの多さ、人間の多さ、、、、まるで日本が私にとって外国のようなショックがありました。(カウンター・カルチャーショックと言います)
2年近く日本人私一人だけの途上国暮らしは、気がつかない無意識下では相当の変化があったようです。

「こころ」の大きな変化と、現実との大きなギャップ・・・そのため病気、入院。

今は第二の人生を必死で模索してるところです。。。

次はインド映画(ザ・ボリウッド!!)



・・・・っということで、ひとまず私の協力隊体験記はおわりです。

帰国したとき、生まれて始めての海外生活、しかも2年間という長い時間は、これまで当たり前と思っていた

日本人としての時間・空間感覚を ぶっとばす ほどのものでした。

とても一言では語りきれない。。。多くの隊員経験者が感じているとは思うけど、せっかく人生の大切な時間、

しかも20台〜30台の若造が、アメリカやイギリスならまだしも、ほとんど聞いた事のない

発展途上国といわれる国々に赴き、なれない環境にとまどいながら、精一杯、自分を最大限生かして

ローカルの人たちのために活動する・・・。

ほんと、泣きたいこともあった、また、それ以上に楽しいことも・・・。

いま、日本のあわただしい時間のなかで、その輝いていた自分を、忘却の彼方に忘れ去ろうとしています。

だって、現実の日本では、その余りのギャップに頭がおかしくなりそうだから・・・

そのために、「慢性すい炎」という病気になってしまったのかもしれません。

今現在も、試行錯誤の繰り返し、日本という、ブータンのような途上国とは正反対の複雑な社会を

あてどもなくさまよっている、というのが正直なところです。

ただ、日本では経験できなかった、人と人との純粋な協力活動の中に「泣くほど人が喜ぶことが本当の仕事」と、

日本から遠く離れたジャングルのなかでいつも感じていました。

ブータンでは(ジャングルの病院という僻地が任地だったこともあるが)実現できなかった、

いろんなやりたかったことを、できるだけ今いる場所で実践していきたいな、と感じています。



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