ブータンは世界一、辛い国だと言われている(そうだ)。村人の家に招かれてその家族と一緒に食事をすることが多かった。 村で一人だけの日本人である私は どこへいってもお客様なので とんかくいろんな家で ブータン料理を食べた。
ブータン人の食事はとても辛く、職場の人たちを一緒に食べるとき、彼らの表情を見ていると「辛そうで幸せそう」なのだ。 当時一番仲良かったブータン人も「辛くないと美味しくない」と言う。 「辛い=おいしい」なのだ。
まだよちよち歩きの赤ちゃん?の子供が、口の周りを真っ赤な唐辛子粉で一杯にしながら おかゆを食べる・・・ 1〜2歳の子供がすでに極辛の食事なのだ。 日本の子供がそんなことしたら(まず、おかあさんが許さないだろうが)絶対、胃潰瘍になるで〜!?! その小さな子供も辛そうな顔をしていても 目は遠くを見つめるように「ボーっ」と 陶然とした表情なのです。 普通、子供は甘いものばかり食べるものだ。 しかし、ブータン、ネパール、インドなどでは甘いお菓子【スイート】は、貴重品、ご馳走なのです。 私の任地の村のような僻地の子供には手の届かないご馳走なのです。 わたしの村はジャングルの中なので食べ物は、畑、田んぼで採れる野菜ばかり、お菓子、缶詰等の加工食品は月に2〜3回ほど50kmの山道をくねくねと走ってインド国境の町「ゲレフ」へ行った時しか買ってこれません。
その車もトヨタ・ランクル【ランドクルーザー】の十何年前の中古を改造した救急車です。 病院の車が唯一の交通手段なのです。 村には他にはタクシーのような車は1台もありません。 今思えば、本当にあんなところに住んでいたのかな?と自分で自分が信じられなくなります。
村には肉屋がありませんから、自家製のお肉?です。 村のはずれの丘の上に豚小屋がいくつか並んでします。 村人が毎朝、豚のえさを桶に入れ肩に担いで運んでいくのを眺めるのが日課でした。
すんごく・・・・くさかった。(^_^;) 約3ヶ月に一度、村中に「肉が食えるぞ〜」と、お触れが出ます。 病院の検査室で仕事をしていると突然、豚小屋のある丘の上あたりから 『ぴっぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ・・・・・ぃぃぃ』という この世の終わりのような豚の声が響き渡ります。 豚の断末魔の叫び声・・・・・(だからピッグ?) 黒豚の表面に灯油をかけ、火をつけて豚毛を焼きます。 ブータン人は脂肪の部分がすごく好きで、『毛付き皮の脂身の部分』を好み、沢山の村人でワイワイとにぎわいながら肉を取り分けます。 そのためか?ブータンでは胆石症が多く、病院の事務長のドルジ氏も開腹手術で胆嚢を切除しました。 検査技師として、一応、 脂身→コレステロール↑上昇 →コレステリン結石→胆石症・・・と説明したのですが、 理屈はわかっても食の好みは中々変わりません。 一応インド製の冷蔵庫はあったのですが、しょっちゅう停電で余り役に立たず、肉の保存が出来ないこともあり、2〜3ヶ月に1度しか肉は食べられませんでした。 故に村人は一様に 『低蛋白性 栄養失調』【low proteinuas malnutrition】。 わたしもトータルで10kg程度 減量できました。 一方、多くの隊員が住んでいた首都では、隊員たちはレストランで色々なブータン・レシピを楽しんでいたようです。 栄養失調でやせ細った私とは違い、(楽しい)隊員ライフを送っていた(そうな)首都隊員たちに教えてもらったブータンのレシピを紹介します。
何度も強調するようで申し訳ないのですが、私が協力隊活動していたシェムガン県イブラプツァ村と言うところは、ほんとうに・・・
「なぁぁぁぁぁぁ〜んも、無い」ところでした。
なので(いやみに聞こえるかもしれないが)一般的なブータン紹介するほどの事物を見聞する機会はほとんど無かったのです。 他の場所に行きたくても、街の隊員のように車を調達することは不可能。 救急車はいつでも、だれかが使っていて、私はほとんど乗ることは出来ませんでした。
ほんとに首都の隊員がうらやましかった・・・
なので、ここではブータン料理を堪能されたであろう、帰国隊員の情報を紹介します。
もし観光でブータンに行く機会がある方もない方?も 極辛の世界を堪能してみて下さい。
ブータンの食事 @ A B
C ←特にココのサイトはすごい!!
(勝手にリンクさせていただきました アリガト!(´▽`) |