くすさんぽ−協力隊物語−帰路変更
帰路変更
今は制度が変更されてしまってるのかもしれませんが、私が隊員で派遣されていた頃には、協力隊として所定の2年以上の任期を全うすると約一ヶ月の「帰路変更」といって、日本に帰るまでの帰国経路を変更していろんな国を訪問することができました。
わたしは ブータン→インド→オランダ→ギリシャ→イタリア→インド→タイ→日本。と言う経路で帰国しました。 当時のすったもんだ?の記録です(^▽^)

 帰路変更旅行 記


2000年5月、協力隊の任期終了により帰国した。

規定では 帰国するまでの1ヶ月間は「帰路変更」といって世界旅行ができる。ここから始まり、ここから旅立つ…
任期中に1回だけ任国から出れる「任国外旅行」では公用パスポートの渡航許可国のみだが
「帰路変更」(略して帰路変)では経由国の大使館、領事館にて東京で預けておいた
「青パス」(私用パスポート)に交換、行きたい国に行ける。
現職参加した人は急いで帰国する。が、私を含め協力隊の経験をサイトUPしている人たちは普段、
日本でサラリーマンしてた頃にはまず縁が無い、ほとんど行く機会のない国へ行ってるみたいだ。
ブータンから地球の反対側にあるUSAまで行った人もいた。

私はまず インド・ニューテリーまで行き そこで在インド日本大使館訪問、公用PP→私用PPへ交換。
2年半の疲れ?を癒すため、N.D →
アーグラー(タージマハール)ジャイプール
ツアー会社の車を貸しきって旅行した。

初日、インドJICA事務所を表敬訪問。受付の白いサリーを着た女性はすごい美人♪
ブータンでも何度かインド人を見たが、本場のインド人はきれいだな〜( ´O)η 
何分2年以上もあんな小さなヒマラヤの山国に居たため超田舎もん状態!?

久しぶりに見た
大都会@インド・ニューデリーに戸惑ってしまった。まるで浦島太郎状態…。
途上国の僻地に住んだ隊員ほどこのギャップは大きい(=カウンターカルチャーショックという)。

その後 在インドブータン大使館を訪問。お金を節約するためドミトリー(ブータン人が泊まるゲストハウス)を
1泊150Rp(=400円ちょっと)にて宿泊。実は初日の宿がインド人だけのロッジだったので不気味…
馴れ親しんだ ブータン人が近くに居る方が安全だと思ったからだ。

数日間の日程でデリー市内を散策。しかしブータンと違ってインドは「あ・・暑い(;´ρ`)」
日中50℃になることもある。携帯していたペットボトルの水が無くなり、あまりのstrong sunshade(ぎらつく太陽)の下、
気を失って倒れそうになったこともあった。

またインド後半3日は壮絶だった。店で買ったペットボトルの水を飲んだのに、ひどい下痢になった。
1日に20回近くも下痢をし…あ〜今思い出しても…というような、心臓止まる!?ほどの下痢だった。
持っていた薬は効かない。ブータン人に頼んで大使館の車で病院へ連れてってもらった。にぎやかなニューデリー市内

診断は 赤痢 だった。今の赤痢菌は出血はしないそうである。インドの薬を飲んだら2日ほどで治った。

本と危ない…驚いたΣ(゚д゚lll)ガーン。

ルンピニ公園(ルンピニという地名はたくさんある)を歩き疲れて辿り着いた所に1軒の日本食屋があった。
店主は日本人男性、妻はタイ人。長年日本で板前をしていたがタイ・バンコクにて自分の店を出しそこで知り合ったらしい。
一緒にインドに移住したそうである。

「へ〜 そういう人生もよいなぁ〜」ブータンぼけが続いている私はそんな夢想の真っ只中だった。

帰国後、どんな過酷な運命が待ち構えているかは当時はまったく気づいていなかったのだ…。

日本の息詰るような社会ではなく、ブータンで現地人の生活に埋没し
楽しく生き生きと生活していた頃は 毎日が楽しかった。
なぜか自信の無い弱気な毎日だった自分が 何でも自分の思い通りになる、などとおおいに錯覚していたのだった。

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